備前焼の特色
備前の土
備前焼の特徴は、土にあるといわれています。
魯山人のお気に入りだった備前の土は、ねっとりと粘り気があって細工がしやすく、水が漏れにくいという長所があります。その反面、耐火性には劣っていて、亀裂が起こりやすいという短所があります。
鎌倉時代には、窯は熊山にあったので、使用された土は山土でした。ぱさついた山土で成形するのは容易なことではありません。唯一良かった点は、燃料の松が豊富にあったことでした。
製品が売れるようになると、備前焼は港から船積みにされて出荷されるようになりました。その結果、室町時代になると、窯は熊山から港の近くに下りて来ました。そこで、備前焼に使われる土は、山土から田土に変わりました。
登り窯
半地下式の穴窯から始まった備前焼の窯は、甕(かめ)、壺、擂り鉢などが流通するに及んで巨大なものになりましたが、江戸時代末期には衰退して小さな窯になりました。昭和に入って、金重陶陽らが苦心した結果、作家専用の登り窯になりました。
窯詰めの際、作品を置く場所によって違う焼き上がりになります。良い焼き上がりを求めて試行錯誤の末にたどりついたのが、現在の登り窯です。
窯変
釉薬を使わない備前焼の加飾は、窯の中での炎による変化がすべてです。この変化を、「窯変(ようへん)」といいます。窯変によって様々に表情を変え、魅力を増す備前焼は、窯変の焼き物と言えます。
窯変には様々な種類があり、それぞれに呼び方があります。代表的なものをご紹介しましょう。
桟切り (さんぎり)
窯変といえば桟切りと言われているほど、桟切りは窯変の代表的なものです。
燃料の燃え尽きたあとに残った灰に作品の一部が覆われて、火が直接当たらないのと空気の流れの悪いのが相まって、「いぶし銀」(還元焼成)になったために生じる窯変が、桟切りです。
備前焼では酸化焼成を基本としているので、粘土の鉄分が3価の酸化鉄(FeO3)となり、赤褐色の素地になることが多いです。しかし、灰に埋もれて還元状態になると、2価の酸化鉄(FeO2)、さらに酸化鉄(FeO)へと変化して、色が赤褐色から灰色、黒色、青みがかった灰色へと変化するものと考えられています。
かつて共同窯で焼成された時代には、窯の内部に「桟」で横仕切りが設けられていました。その下に置いて焼いた作品にこの窯変ができたので、「桟切り」とよばれるようになりました。
窯焚きを止める前に炭を投げ入れると、鮮明な桟切りが取れます。そのため、多くの場合、炭を投げ入れて人工的に桟切りを作っています。これを「炭桟切り」と呼ぶことがあります。炭を投げ入れない自然の状態でできる桟切りを、代表的な窯変ということで、単に「窯変」と呼ぶことがあります。
胡麻 (ごま)
赤松の割木の灰が熱で溶けて灰釉になり、胡麻を振りかけたようなものをいいます。胡麻作品の多くは、火の近くの棚の上に置かれているため灰も多く、溶けて流れた状態のものを『玉だれ』といいます。
緋襷 (ひだすき)
素地が白色あるいは薄茶色のものに赤い線があるものをいいます。本来は、作品がくっつくのを防ぐため、藁(わら)を間に挟(はさ)んだり巻いたりして、大きな作品やサヤの中に入れ、直接火が当たらないようにして焼いたものです。
牡丹餅 (ぼたもち)
最初は、皿や鉢の上に小徳利などの作品を載せて焼いたため、そこだけが牡丹餅を置いたような仕上がりになったものをいいます。現在は、「ぼた」や「せんべい」などと呼ばれる、丸く平たい型の板を載せて焼きます。
その他
青備前、白備前、黒備前などがありますが、残っている作品は少なく、近年、再現する技法が研究されています。